
「エイリアン:ロムルス」を観た。
なぜクリスマス・イブに?
強いて言うなら、
オレより愚かな人間が世界にも宇宙にも存在して、
さらに言うなら、
未来にも存在すると実感したかったから。
アラ還ヂヂイのいやしい心境はどうあれ、
「エイリアン」シリーズは常に気になる作品。
1ではチビリそうなくらいビビり、
2ではリプリーとエイリアンのタイマンに震え、
3ではターミネーター2と同様に、
人類を救うのは溶鉱炉だと確信するも、4は未観。
プロメテウスはそこそこ好きだが、
コヴェナントは途中で集中力を失った。
ハリウッドの続編依存には辟易する反面、
最大公約数的な安心感を覚えるのも事実。
本作でも「愚かさ」というエッセンスに、
存分に浸り呆れたかったのだ。
ただ、主要キャラがほぼ若者であるのに加え、
劣悪な労働環境や困窮した生活などが織り込まれており。
これまでのような科学者や熟達したプロ集団の、
噴飯ものの愚かさに比べればかなり共感できた。
エイリアンシリーズがもたらす恐怖は、
人間の愚かさの裏返しであるが、
主要キャラを未熟な若者とすることによって、
その愚行を必然へと変化させたのは見事。
また、重要な役割を担っているアンドロイドも、
これまでは個体として善か悪かの両極だったが、
本作のアンディはチップによって、
善と悪が切り替わる存在へと変化した。
それを機械的とネガティブに捉えることもできるが、
人間だって善と悪は共存しており、
それが些細なことで入れ替わる事実に照らし合わせれば、
むしろアンドロイドが人間的になったと言えなくない。
そうした本作のちょっとした、
だけど、従来の根幹をなす設定を変更したことで、
新たなファン層を獲得したのかもと、
それらしい分析をしてみた。