著名な作家であり、
多くのヒット作品を残されているのは知っている。
だが、小説を読んだことがない。
書店で買う本にどれだけ悩もうと、
彼の本を手にしたことは一度もない。
それなのに、JALで機内誌を手にすると、
ほぼ必ずエッセイを読んじゃうから不思議だ。
で、今回のお話。
COVIT-19の感染拡大による自粛と、
だからこその読書について書かれていた、と思う。
「 一に花。二に書物。三に食事。
貧しかったころから、その順
序はいつも心に留めていた。
まず一輪の花を机上に飾り、
次に書物を贖い、余裕があれば
腹を満たす。その順序を守らな
ければ、小説家にはなれないと
信じていた。むろん今でも、そ
のならわしは変わらない。」
「 だから書店で数冊の書物を購
った帰り道、花屋さんが開いて
いたのはましてありがたかった。
しかも、薔薇の花を選ぶ先客が
あった。
思わず「きれいですね」と語
りかければ、妙齢のご婦人はマ
スクをかけた目を細めて、「こ
んなときですからねえ」と答え
た。花よりも美しい人だと思っ
た。」
「 かつて読書は娯楽であった。
わけても小説は、ジャンルにか
かわらず純然たる娯楽であったと
思う。よほどの学術書でもない
限り、人は書物から知識を得よ
うとは考えず、ひたすら読書を
楽しんでいた。そして、実は人
と書物とのそうした親和性が、
教養主義の基盤となっていたの
である。」
「 しかし、一巻を読了するため
に少なくとも四時間や五時間は
かかる読書は、やがて社会の速
度にそぐわなくなった。つまり
世の中が、連続した四時間の読
書を許さなくなったのである。
その時間をあえて確保しようと
したときから、読書は娯楽では
なくなり、学問に堕落した。伝
統的教養主義の基盤は崩壊した
のである。そうとなれば、そこ
に拠って立ってきた日本は、あ
らゆる分野において大国のパワー
とダイナミズムにはまったくか
なわない。
一に花。二に書物。三に食事。
私たちの先人はその心もて、
戦禍も災害も乗り越えてきたの
である。」
引用元:JAL機内誌「SkyWord」2020.6 浅田次郎「つばさよつばさ『読書のすすめ』」
一に花。二に書物。三に食事。
そう心に留めなければ小説家にはなれないと信じ、
その名を知られる小説家となった今も、
ならわしを変えない。
そういう人にしか書けない文章がある。
文法を整えることと、
すでに誰かが書いた目先の事象を、
ちょっと気取ってリライトするだけの書き手には、
絶対に書けない文章だ。
「読書は娯楽ではなくなり、学問に堕落した。」
その言葉は、たぶん生涯、ボクの胸から離れないと思う。