昨夜の会合の後、少し飲んだ。
今月、道内同業者でその身内や先代などの不幸が相次いだ。
しかも、業者会などで活躍をされていた超重鎮たちがおられ、
当事者のみなさんはもちろん、
ボクたちもけっこう浮き足立っていた。
「ただね、11月って言うのが『らしい』と思って」
先週、創業者で会長だった方を亡くされたTNK社長は、
言い聞かせるように言った。
「年末年始を避けたんだなって」
今月初旬に先代を亡くされたYMOK社長も、
苦笑いしながらうなずいた。
「赤の他人には迷信だろうって笑われるだろうけど、
あの人たちはホントに選んでると思う」
しんみりとした夜の時間を思い出しながら、
ホテルのレストランで朝食をとる。
「らしさ」とか「らしい」などのぼんやりとした印象が、
生死というはっきりとした現実について回るのは、
そのリアルさを受け入れるための緩衝材なのかもしれない。
そして、同時に、失ったものを忘れまいと、
心に刻んでいるのだろう。
ボクはその時、どう「らしい」と思われるのか?
ちょっと知りたくなった。