Spiral-World

めくるめく世界での個人的な日記

その時

打合せに向かうまでの少しの空いた時間に、

村上春樹の「一人称単数」を読み始めた。

この数年、本を読むのがためらわれていた。

もちろん、その間にも何冊かは読んだが、

ほとんどが「〜しなきゃ」との強迫観念からで、

良い物語や文章との出逢いを渇望してではなかった。

「その時間をあえて確保しようとしたときから、

 読書は娯楽ではなくなり、学問に堕落した。」

作家の浅田次郎さんはエッセイの中で、

昨今の読書と向かい合う心境について痛烈に批判した。

作家がこうした文章を書くことについては、

さまざまな受け止め方があろうが、

ボクは読書家としての浅田さんの言葉に、

反論の余地すら無くうなだれた。

ボクは読書における娯楽性をいつからか完全に失っていた。

さらには、そもそも学問として文字を読むことが、

生まれてこの方ほぼ無かったので、

本を手にする機会が消滅するのは必然。

だから、村上春樹のこの短編集は、

「読みたい」と思うまで開かないようにしていた。

そして、その時は、予期せずに訪れた。

そこには見知らぬ人ばかりがおり、その喧騒があり、

目の前に置かれたコーヒーカップからは、

まだいくぶん温かな湯気が立ち上っていた。

捲ったページには、

慣れ親しんだ文体が並んでいた。