「ごめんごめん、遅くなった」
HDTKからの電話は24時を過ぎていた。
「ぜんぜん平気だよ。起きてるから」
話せないかとメッセージを送ったのはボクだし、
忙しいのは承知の上。
「おめでとう」
「めでたくねぇよ。もう定年だぜ」
HDTKの業界は55歳が定年。
就職してすぐの頃からずっと、
会うたびに「辞める」と言いながら33年間勤め上げた。
「オレ自身、そんな自分が信じられない」
社畜という言葉が使われ始めるずっと前から、
会社や組織に従属することに対しての、
漠然とした嫌悪感は誰もが持っており、
そこには本心と羞恥と虚栄と、
また、新たな可能性への願望も多分に含まれていた。
「で、どーすんの? 定年後は」
「残ることにしたよ」
「出向とか?」
「いや。とりあえずは今のまま」
「そっか」
「またも日和っちゃったぜ」
照れくさそうに笑う声に、焦燥も絶望もない。
「お前は会社ではなく、仕事が死ぬほど好きなんだよな」
「ま、そうね」
それからしばらく他愛もないことを話して、
電話を切った。
10月には北海道へ来るという。
おめでとう。