朝食を食べながら、新聞を読む。
そして気になった記事の話をする。
それが母の習慣。
今朝も朝日新聞を読みながら、
目前に控えた選挙や春の甲子園について話す。
と、ある部分で、何度も首を傾げた。
そして、しばらく思案して、
ボクに新聞を差し出して言う。
「これってどういう意味かしらね」
「私たちが音楽的だと考えていることが、
ほんとうは人間の不幸の始まりかもしれない。」
なるほど。
確かに違和感を覚える。
「私たちが音楽的だと考えていることが、
ほんとうは人間の不幸の始まりかもしれない。
歌唱の形式は社会生活の形態と連動していると、
民俗音楽学者は言う。
小規模な狩猟採集民は声を揃えて歌うことが少なく、
他民族との抗争や巨大な獲物を狙うなど
結束した行動が必要な民は、
日頃から歌や踊りで拍子を合わせる練習をしている。
権威や規則で生活が「がんじがらめ」の社会で
はじめて「複雑」で「個性的」な音楽が誕生すると。
「音楽の根源にあるもの」から。」
引用元:朝日新聞 2019年3月29日朝刊 折々のことば 鷲田清一
音楽は人の心を解き放ち、その生活を豊かにする。
そんな大前提があるからこその違和感だろう。
多少のズレはあるが、似た言葉を思い出した。
もしあなたが芸術や文学を求めているのなら
ギリシャ人の書いたものを読めばいい。
真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。
古代ギリシャ人がそうであったように、
奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、
そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、
数学に取り組む。
芸術とはそういったものだ。
夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、
それだけの文章しか書くことはできない。
そして、それが僕だ。
ところで、なぜ、小泉文夫さんの言葉なのか。
調べてみると、3月29日が誕生日とのこと。
「権威や規則で生活が「がんじがらめ」の社会で
はじめて「複雑」で「個性的」な音楽が誕生する」
「真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だ」
人は自由を求める。
身体的にも、心理的にも。
そして、それは芸術や学問と密接にリンクし、
社会構造とも深く関係している。
そうした「矛盾」の中でしか、
多くの人の心を打つ「何か」は実は生まれない。
父の誕生日の朝に、不思議な言葉に出会った。