予感はあった。
なので、最近では珍しく、コーヒーを飲みながら、
朝日新の朝刊を読んだ。
やはり、「新潮45」の休刊に触れていた。
「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」。
明治の後半、新潮社を創業した出版人佐藤義亮が
高らかに掲げた言葉だ。
今回の企画は、その良心に背いていなかったか。
少数派の人間を切り捨てる冷たさははなかったか。
新潮社と朝日新聞は過去に、
従軍慰安婦報道を巡っての広告不掲載で対立したこともある。
池上彰氏のコラムの掲載を見合わせ批判を浴び、
判断の誤りを認めて池上氏と読者に謝罪した事がある。
https://www.nikkei.com/article/DGKDASDG04018_U4A900C1CR0000/
朝日新聞の綱領は下記のように謳われている。
一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、
民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、
一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
一、真実を公正敏速に報道し、
評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、
清新にして重厚の風をたっとぶ。
引用元:朝日新聞綱領(1952年制定)
「朝日新聞はこれまでに、この綱領に背いてはいなかったか?」
そうなじるつもりはない。
そもそも今、朝日に限らず国内大手メディアに、
「言論の自由」や「公正」など期待していないので、
失望しようがない。
ただ。
極めて稀だが、ある瞬間、
「あぁ、読んで良かった」と思う記事に出くわすことがある。
それは、大手の新聞であれ、雑誌であれ、変わらない。
犯罪少年の実名を報じ、
皇太子に退位を勧めて物議を醸す。
かと思うと政治家の謎のに迫るなど気骨も見せた
執筆陣の豪華さ、
企画の自由闊達さに改めて感じ入る
映画「凶悪」の原作も新潮45の記者による。
映画を見て原作を読むことのないボクが、
取り憑かれたように読んだ。
今日の天声人語は次のように締めくくられている。
惜しむべき雑誌ジャーナリズムの灯が、またひとつ消えた。