彼が投げるストレートが好きだった。
球速では測りきれない不思議なチカラが漲っていたから。
甲子園出場経験はなく、大阪体育大学の受験にも失敗。
浪人時代には夜間の道路工事のアルバイトをしながら、
勉強とトレーニングに励んだ努力の人。
それが実を結び大学時代に注目を集め始め、
国際大会での活躍もあってメジャー4球団を含む複数球団による争奪戦の結果、
1999年のルーキーイヤーに20勝4敗の好成績を残し、
両リーグを通じて斎藤雅樹以来9年ぶり、
新人投手として木田勇以来となる19年ぶりの20勝投手となった。
また、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、
史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成。
さらに、新人王と沢村賞も受賞。
その後、メジャーへと移籍し、
2013年には日本人初のリーグチャンピオンシップとワールドシリーズで、
胴上げ投手ともなった。
先発でも中継ぎでもクローザーでも活躍し、
日米通算で134勝、128セーブ、104ホールドを積み上げた。
「トリプル100」は日本人選手で初でメジャーでも1人だけ。
偉業中の偉業だ。
「打者は2000本安打以上、投手は200勝、もしくは250セーブ以上」
今現在、上原はこの名球会の入会資格クリアしていない。
「名球会、マジで考えないといけないんじゃないの、と思います。
僕は名球会でもなんでもないけど、一人の野球人として。
そこはちゃんとしないと、名球会の価値がなくなっていくのでは」
「200勝よりも難しい可能性もある。
2000安打よりも、250セーブよりも難しいのではと、僕は思う」
ダルビッシュは、上原の偉業の価値を訴えた。
もちろんボクもその偉業は讃えられるべきだと思うが、
その達成も彼のスゴいストレートあってこそ。
全盛期のMAXでも150km前後で、
メジャーに移籍した頃には140km後半がやっと。
それでも並み居る強打者を相手に三振の山を築けたのは、
メジャーでも屈指と言われた回転数と抜群のコントロールあってこそ。
そして、それは彼が生涯を通じて続けたたゆまぬ努力と工夫による。
ホントに素晴らしいピッチャーだった。
おつかれさまでした。
ありがとうございます!