Spiral-World

めくるめく世界での個人的な日記

40年を超えて

その文章に心を射抜かれた。

あっという間に涙が溢れ、拭わないと文字を追えなくなった。

戦後、復員して日本へ帰ってみると、

 わが家は戦災で焼け野原になっており装置は跡形もない。

 以来、レコードを聴く心のゆとりがあるわけもなく、

 ひたすら食うものを求めて街をさまよった。ルンペンにもなった。

 ――それが、ふとしたことで或る人の知遇を得、

 その人の書斎でLPを聴かされた時は、

 こんなにもレコードの音はよくなっているのかと、

 息をのんで聴き入ったのを忘れない。昭和二十六年だった。

 なにひとつ私の身辺に心をなごませるものはなかった“戦後”――

    荒廃しきった私の内面にあった“焼跡”はこの時で終わった。

 私は人なみな生活を持ちたいと思い、

 自分もレコードを日常に聴ける人間になりたいと熱望した。

 定職にまずありつきたいとねがった。

 そういう意味で、

 私を立ち直らせてくれたのは思想でも、文学精神でもない。

 音である。いい音でレコードを聴きたいという願望だった。

引用元:「いい音 いい音楽」 五味 康祐

1980年に出版されたこの本と筆者について、

ボクは何ひとつ知らなかった。

でも、この文章はその頃のボクと今のボクを一瞬にして繋げた。

五味さんとボクは育った時代も環境も、

比べるもなく違い過ぎる。

だが、心に抱えた渇望に違いは無い。

1980年。

すでに音楽に没頭し始めていた14歳のボクは、

佐野元春の楽曲と出逢ってその熱がさらに高まった。

毎晩抱きしめるようにラジオに聴き入り、

そこで出逢う音楽から新たな『世界』を思い描いた。

79年に発売されていたSONYウォークマンを手に入れ、

音楽と接する時間が飛躍的に伸びたことで、

新しい楽曲との出逢いへの願望は歯止めを失なうと同時に、

それらをより良い音質で記録し、

好きな時に好きなだけ聴きたいとの想いが高まった。

大好きなアーティストの新譜が出ると、

まずは手持ちのラジカセでFMのエアチェックをした。

その後、レンタルレコードが増えると友だち数人と割勘でLPを借り、

数少ないオーディオ好きの友だちに頼んでダビングしてもらう。

それを繰り返しながら、いつも思っていた。

いつかオーディオセットを手に入れ、

好きなアーティストの楽曲を欲しいだけ買い、

より良い音で、聴きたいだけ聴けるようになりたい、と。

その願いが初めて形になったのが23歳の時。

バイク事故で手にした示談金をすべて注ぎ込んで、

アンプとCDプレーヤーとカセットデッキとスピーカーを手に入れた。

アンプはサンスイau−607。

CDプレーヤーとカセットデッキTEAC

スピーカーはBOSEの101を選んだ。

当時、僕の部屋にあった冷蔵庫と洗濯機は、

粗大ゴミに出されていたモノを持ち帰り、

HDTKに修理してもらったのを使っていた。

ストーブもエアコンも、もちろん無かった。

そんな生活をしていた頃だ。

その後も音楽への傾倒は治らず、

食費を惜しんでもライブに通いCDを買う日々が続いた。

そして今。

ボクは大好きなアーティストのCDに囲まれ、

完璧とは言えずともお気に入りのオーディオでそれらを聴いている。

   自らを省みて、ラジオアンプに六吋のスピーカーをつなぎ、

 息をひそめて名曲を聴いた貧乏時代の私と、

 贅を尽くしたオーディオ装置を持ついまと、

 どちらが真に純粋な音楽の聴き方をしているのだろうかと思うのだ。

 装置を改良し、いい音で鳴った時の喜びはたとえようもない。

 まさにオーディオの醍醐味である。

 しかし、すぐれた音楽を聴くときの感動や悦びはそれにまさるものだ。

 音楽には神がいるが音に神はいない。

引用元:「いい音 いい音楽」 五味 康祐

この文章にも既視感を覚える。

と同時に、

なぜこの本を読めとTORさんが強く勧めてくれたのかが痛いほど伝わって、

また涙が溢れて来た。

ありがとうございます。