中田翔をめぐる批判は、未だ衰えず。
というか、今や本人は置いといて、
球団や栗山監督への批判が多いように思う。
で、先日も書いたが、
球団や栗山監督の責任を問うのは、
やはり「?」なのだ。
ファイターズが選手への基本的教育を、
いちじるしく怠っているのなら話は別だし、
栗山監督が中田の「暴力」を使って、
他の選手を支配しようとしたなら、
いかなる処罰と批判も受けるべきだと思う。
他国や他競技においても、
選手の身体的、心理的な暴力には処分が下されるし、
多くの批判も集まる。
だが、球団や監督などがその責任を追求されるのは、
あまり聞いたことがない。
学校で教育の一環として取り込まれた部活なら、
まだ理解はできるが、
今の多くの批判はプロの選手を個人として認めず、
集団や組織の所有物と捉えているかではないかと、
思えてならない。
話は少し逸れるのかもしれないが、
今回の件を突き詰めるならば、
試合中の乱闘などでも更に厳しい処罰が必要になるし、
それに際して、球団や監督も責任を負うことになると思う。
さらに言うならば、
人が死んでもおかしくない炎天下の甲子園で、
高校生が競技をしているのを絶賛し奨励し、
もてはやしている人々もまた、
その責任を問われるべきかなと思うのだが。
しかしながら、ボクは、
そうした過酷さや残酷さを抜きに、
スポーツやそれに関わるアスリートの美しさは、
生まれないと思っている。