Spiral-World

めくるめく世界での個人的な日記

わすれもの

 

先月、JALの機内誌を読んだ、

浅田次郎さんのエッセイについて。

 

毎度のことだがSky Wordの「つばさよつばさ」は、

必ず読んでいる。

 

著名な作家で、ヒット作を多く残されているが、

小説を読んだことがない。

書店で買う本にどれだけ悩もうと、

彼の本を手にしたことは一度もない。

 

それなのに、JALで機内誌を手にすると、

ほぼ必ずエッセイを読んじゃうから不思議(笑)

 

で、その時、気になった文章。

 

「あわただしく生きる理由はない。

 時間そのものが変わったは ずもなく、

 その時間の中に生きる人間が変質した。

 空白は埋めつくし、少しでも余分なことは

 省略して次なる行動に移る。

 たとえそうすべき理由がなくとも、

 急げ急げと自分自身に命じている。

 そして通園バスの車内を振り返らなかったばかりに、

 閉じこめられた幼児が熱中症で亡くなるという悲劇が

 一度ならずも起こってしまった。」

 

「しかしこの件については、

 当事者の責任を問う前に私たちの生きる社会の

 実像について考え直す必要があると思う。

 いわゆるデジタル社会への急速な移行に伴い、

 みながみな振り返る余裕をなくした世の中についてである。

 私たちは得体の知れぬ何ものかにいつも追い立てられ

 せき立てられして、本来欠くべからざる必須事項を

 知らず省略してしまっているのではなかろうか。

 そして怖ろしいことに、私たちがかくもあわただしく

 生きる場所は旅先ではなく、日常の社会なのである。

 乗物から降りるとき、席を立つとき、

「停止」から「行動」に、「静」から「動」に移るときは

 必ず振り返る。

 日常の所作ばかりではなくすべての心がけとして。

 デジタル社会は殆いほど抽速に過ぎるのである。」

 

引用元:JAL機内誌「SkyWord」2022.12 

浅田次郎「つばさよつばさ第231回『振り返る人』」

 

すべての読み物におもしろさや楽しみを見いだせるわけもなく。

かと言って、読まない限り、

おもしろさ文章が持つ力を見出すこともできない。

 

浅田次郎さんのエッセイを読むたびに、

そのことに思い至る。