続き。
「証明されていないものは無い」
その考え方に強い疑問を感じることと、パラレル・ワールドが好きであることの関係性について。
このブログのタイトルを「スパイラル・ワールド」としたのは、ボクが思うパラレル・ワールドのイメージが、線路のように直進・直線的ではなく、螺旋状で並走しているから。また、異次元の別世界が同時進行的に存在するというよりは、現代を生きるボクが今知り得ているのとは、違った世界がある(あった)という感じか。
サムネイルのようなうずまきにおいて、黒い線を「実在」、白い線を「未認識」とする。互いが交差することはないが常に接していて、どこかのタイミングでその実在を認識することによって、これまでの価値観や世界観が大きく変わる。そんな感じ。
ツタンカーメンの短剣はもちろんだけど、日本においても同じようなことがあった。
三内丸山で発掘された遺跡は、それまでの縄文時代の捉え方を根底から覆し、教科書が書き換えられるほどの破壊力があった。
そうした世界的学術がまだ解明していないもの以外、もっと身近なことでも、たくさんある。
そのたび、自分なりに積み上げてきた価値観を揺さぶられ、新たな感動に心が震え、浅学非才さを恥じ・・・。
「知らないことは存在しない」
ボクが頭ごなしに信じている通説や常識などの中には、実は「推測」めいたものがかなりある。
で、それらの実態が解き明かされる瞬間に立ち会えるとしたら、それはとても楽しみだし、ワクワクする。できれば、「ゼロ」の実在が証明される日に生きていたいなぁと思う。
ってなことで、ボクにとってのパラレル・ワールドとは、ボクが理解・認識していない事象との出逢いそのものであり、新たな認識、つまり世界観を得る可能性なのだ。