病室という空間が持つ微妙な空気が、
ボクはあまり好きではない。
病室が好きだという人に会ったことがないので、
もしかするとみんなも好きじゃないのかもしれない。
札幌のいるかホテルで羊博士から話を訊いた。
物語がそのへんに差し掛かった頃、
30代とおぼしき女性看護師が病室に入って来た。
義母とボクに名札を見せながら名乗ると、
点滴や機材をテキパキとチェックし、
身体の向きや布団を直し、
雑談を交えながら義母に具合を訊いた。
そばにいてジロジロ見るのも失礼なので、
ボクは椅子に座ったまま本を読んでいた。
ひとしきり仕事をすると看護師さんはボクに言った。
「付き添い、大変ですね」
「いえ。みなさんが良くしてくださるので、
ボクは本を読んでいるだけです」
そう言うと、
彼女はちょっとホッとしたように笑った。
「村上春樹さんですよね、それ」
「はい」
「私は『海辺のカフカ』しか読んだことがなくて」
「それは残念な出会いでしたね」
「え? そうなんですか?」
「あまりにも抽象的すぎるし、
はっきり言っておもしろくない。
だから、他の作品を読まなかったんでしょ?」
「あはははは。そうかも」
「長い入院の合間とかに読んだら、
少しは印象が良くなるかな」
「そんな機会があったら、もう一度読んでみます」
彼女が出て行き雑談の余韻が消えると、
病室は徐々に「病室らしき」空気になって行く。
ボクはまた羊をめぐる冒険を読み始めた。