目にしたニュースを眺めながら、ため息を付いた。
死別した同性パートナー(当時75歳)の火葬への立ち会いを拒否され、
2人で貯蓄した財産を相続できなかったのは不当だとして、
大阪府内の男性(72)が親族に慰謝料700万円の支払いと
財産引き渡しを求めた訴訟の控訴審判決が15日、大阪高裁であった。
石原稚也裁判長は、請求を退けた1審・大阪地裁判決を支持し、
男性の控訴を棄却した。
判決によると、
2人は1971年頃から同性愛者であることを周囲に隠して同居。
男性のパートナーは2016年に亡くなった。
男性はパートナーの親族に火葬の立ち会いを拒否されるなどして
精神的苦痛を受けたと主張していたが、
昨年3月の1審判決では
「親族は2人をパートナーだと認識していなかった」と判断していた。
引用元:読売新聞オンライン 2021/01/15
家族として。パートナーとして。
大切な人を亡くされた方々が故人を悼む気持ちは、
変わらないのだと思う。
だが、その想いを残された家族とパートナーが共有し、
同様に尊重し合うことができるかはまったくの別問題。
このケースに限らず、そう感じることはけして珍しくない。
このニュースが報道されたのは、故人をはさんでの、
同性愛者としてのパートナーと家族間での訴訟だからだろう。
そのくらい同性愛者の方々への社会的制度の整備も認識も、
充分ではないことは、なんとなく理解できる。
この報道の真意を断定し是非を問う気もないし、
ましてやパートナーだった方やご家族を批判する気も毛頭ないし、
愛のあり方などと神様めいたことを言うつもりもない。
こうした問題に触れるたびに思う。
互いが納得し合える答えなど出せない。
だからこそ、法という制度は欠かせなく、
かと言って、それですら、何ら答えなど出せないのだと。