「すごかったな」
鴨せいろをすすりながらTORさんが何度も言う。
「やっぱ、ただの落書きじゃねぇわ」
TORさんはそもそも、
キース・ヘリングを落書き男などと思っていない。
35年ほど前に彼のシルクスクリーンを購入。
今でも自室に大切に飾られている。
「あの頃はオレでもまだ買えたんだよね。
それこそ美術界では『B級』扱いだったし」
「でもそこそこのお値段だったでしょ?」
「値段よりも彼の絵を額に入れて飾るのに、
勇気が必要だったかな」
35年前。
日本におけるポップ・アートに対する評価は、
今では考えられないほどに低かった。
今につながる予感はあったものの、
あくまで『サブ』のカルチャーだった。
「それが今じゃねぇ・・・」
18世紀の哲学者、トマス・ペインは言った。
「なんとなく手に入るモノに人は価値を感じない。
あらゆるモノの価値は愛着がもたらし、
その適切な対価は、誰にもつけられない」
かなり在庫が減っていたグッズショップで、
「この展覧会のポスター買えないの?」と、
スタッフを困らせていたTORさん。
帰りがけに立ち寄った蕎麦屋で、
鴨せいろをズルズルとすすりながら、
店内に貼られた展覧会のポスターを、
うらやましそうに何度も眺めていた。