あの日のボクは北海道で暮らし、
その後の生活でも仕事でも人並み外れた影響も受けず。
そんなボクごときが慰霊や鎮魂やはおろか、
復興とかでさえ口にすべきでは無いと思った。
それはあの未曾有の災害を忘れるとか、
被災地の支援をやめるとかではなく。
ボクですら10年が過ぎてもまだ、
あの日のあの光景を忘れられずにいる。
そして、そのことだけで、
自分が被災地のために何一つ貢献していないことへの、
免罪符を手にしているように思うのだ。
北海道はいま、核のゴミ受け入れで揺れている。
その中である著名人が言った。
「日本各地の原発の問題を所在地に丸投げし、
他人事として見えないふりをするのはあまりにも卑怯。
原発による豊かさを享受したすべての者には、
その後処理を引き受ける責任があるし、
北海道もその例外ではない」
その方の想いに、言葉に、
目を背けてはいけないと思った。