ファミレスでモーニングを食べいていると、
新聞を読んでいたおふくろがため息をついて、
記事を指差す。
「北海道の小さな町ってどこもこんな感じ?」
投票が近づく統一選で、
半数以上の町村では定数割れが起きているとの記事の中で、
北海道初山別村長選が13回連続で無投票となり、
現職の5選が決まったと書かれていた。
「よその町のことはよく知らないけど、
オレの地元とか近隣に限って言えば、
今回はどこもかしこも選挙になってるかな」
「それなら良いけど・・・」
以前は投票率の低さをよく嘆いていた。
最近はそれに加えて、
無投票になることを憂いている。
その気持はもちろん理解できるが、
皮膚感覚として理解できてしまう。
選挙はあったほうが良い。
だが、議員になることで生ずるリスクがあまりにも大きい。
多くの人がそう考えた結果のように思えるのだ。
「議員として報酬を受けるのだから、
それ相応の責任は生じるでしょう?」
「そうだね。
その報酬と責任を秤にかけて、
それならやらないとの選択になっているのでは?」
「でも、それじゃ・・・」
「そんなに政治と選挙が大事だと思うなら、
あなたが立候補すれば良いじゃん?」
「そうやってまた極端なことを」
おふくろが笑って話題を変えたが、
ボクはいつも通りかなり真面目で(笑)
こうした選挙戦の実情をみて、
「民主主義の崩壊」と評する方がいるが、
そうした方々の多くは、
自らの今の仕事を投げ売ってまで議員にならない。
「自分にはできないけど、
それをやろうとする誰かを選ぶ権利は得たいし、
何かあればその人たちを徹底的に批判する」
多くの人がその立ち位置を取ろうとする限り、
政治とか自治の空洞化は止められないし、
これまでも今も実在しているのかかなり怪しいが、
民主主義など維持できるワケがない。
「では、どうすれば良いのか?」
こういう話をすると、ほぼ必ず尋ねられる?
「さぁ? なるようになれば良いのでは?」
自分ができることをできる範囲ではやる。
だが、政治家になりたいとは思わないし、
政治的な何かもできない。
その「できないこと」は棚に上げて、
それをしている人たちを批判もしない。
無力なボクには、それしかできない。