Spiral-World

めくるめく世界での個人的な日記

デジタルと迷信のあいだで

今年、ボクは還暦を迎える。

1966年、丙午(ひのえうま)の年に生まれた。

 

「丙午の女性は気性が荒く、夫の寿命を縮める」

そんな荒唐無稽な迷信が、かつてこの国を席巻していた。

 

今なら「いったい誰が信じるのよ?」と笑い飛ばすだろうが、

当時の数字は驚くほど雄弁だ。

 

1965年の出生数は182万人。

それがボクの生まれた1966年には136万人へ急降下。

翌年には193万人へと跳ね上がった。

 

統計グラフに刻まれたその「深い溝」は、

当時の人々が抱いていた、

得体の知れない恐怖の証左でもある。

 

奇妙なのは、その背景にある「時代の熱量」だ。


1966年は「いざなぎ景気」の真っ只中。

人口は初めて1億人を突破し、

カラーTV、クーラー、カーの「3C」が、

新・三種の神器としてお茶の間を彩り始めた。

 

経済成長率は10%を超え、

「明日は今日より良くなる」という、

根拠のない楽観主義が日本中を覆っていた。

 

文化の面でも、1966年は「革命」の年だった。
武道館にビートルズが降り立ち、

ストーンズやビーチ・ボーイズのレコードが街に流れる。

 

ツイッギーが来日する前夜でもあり、

ミニスカートを履いた女性たちが街を歩き始め、

ジャズ喫茶やカフェにはモダンな空気が満ちていた。

 

最先端のロックやファッションに身を包み、

科学技術で宇宙を目指す一方で、

いざ「結婚・出産」となると、

血縁や地域に根ざした「縁起」という、

過去から続く呪縛に足をすくわれる。

 

戦中・戦後の欠乏を生き抜いた世代にとって、

変化を謳歌することと、

古き常識に帰属することは、

矛盾せず同居していたのだろう。

 

翻って、現代のボクはどうか。
iPhoneをはじめとする最新のデジタルデバイスを使い、

あふれんばかりの情報の海を必死に泳いでいるが、

それでも厄年になれば、

当たり前のように神社へ足を運び、

神妙な顔でお祓いを受ける。

 

合理性と非合理性。

この矛盾に満ちたメンタリティは、

おそらく日本人の血に深く刻まれた遺伝子だ。

 

2086年の丙午。

100%デジタル化した世界でも、

「念のため」と手を合わせている人たちの姿が、

目に浮かぶ。